ペリリュー島のラストサムライ(南溟の桜 )

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このトピックには5件の返信が含まれ、5人の投稿者がいます。5 年前lasky lasky さんが最後の更新を行いました。

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    投稿
  • #811
    ヒツジ提督
    ヒツジ提督
    参加者

    板違いなら失礼(免罪符)

    当サイトの現ヘッダー画像は(間接的に言い当てたTakaQさん変態過ぎワロタ的)伊400型で、後の正式に竣工とする大和型大和の艦影素材もこちらのサイトから拝借しております。

    南溟の桜
    http://soranokakera.lekumo.biz/

    私「ロゴの画像とかエクセルでCPU描くくらいしか作り方知らないし、職人へ依頼すると最低5万円らしいからフリーのやつを探そう。お、大和の艦影をロックオン。他には400型も製作されているのか」というわけで大和を貼り、テスト中の今は伊400型に置き換えているけれど、このシルエットを作成された筆者殿のブログ読み全私が震撼。

    Q.篠原
    ご戦友の最期の姿は覚えていらっしゃいますか。

    A.永井さん
    みんな真面目に死んでいきましたよ。
    それこそ純粋な気持ちでね。「天皇陛下万歳」といってね。

    Q.篠原
    最期は「お母さん」と叫んだのではないのですか。

    A.永井さん
    そんな女々しいのはいなかったですよ。いないいない。
    そんなのいないかんね。嘘だかんね。私らの第二連隊は
    よく訓練されていたから。少なくとも私の見た限りはね。
    最後はやはり「天皇陛下万歳」です。
    <small>source:ペリリュー島のラストサムライ(1): 南溟の桜</small>

    もはや引用では無く転載になるけれど続ける。

    Q.篠原
    国の為に真面目に死んでゆく、という概念が
    我々戦後世代にどうやったら少しでも理解できるでしょうか。

    A.永井さん
    こればっかりは当時を生きていないと難しいんじゃないですか。
    私は昭和22年まで終戦を信じず戦いました。

    そのことを某新聞社が「手を上げて投降した」と書いたんです。
    そこで私はその新聞社と大ゲンカになりましてね、
    最後まで記事を取り下げなかった。
    これは私だけの問題ではないんですよ。
    真面目に死んでいった戦友たちの名誉の問題でもあるんです。

    死んだ戦友たちの・・・名誉の問題なのですよ。

    もう一箇所。

    アメリカ軍と戦って、アメリカ兵に
    どういった感情を持っていましたか。

    A.永井さん
    憎らしいということはなかったですね。アメリカ兵の
    死体を見ると、みんなまだ若いんですよ。私らと同じようにね。
    この人たちにも祖国アメリカには恋人や奥さんや、家族がいる。
    そう思うと、かわいそうになりましてね。
    だけど、やらなきゃやられてしまうから戦いました。
     
    つづく

    最期は「お母さん」では無く「天皇陛下万歳」と言ったという点。

    私は特攻兵器(零戦や人間魚雷など)の遺書をチラ見した事が有り、そこには母親への感謝が多く綴られていた印象が有ったけれど死に際は違う。遺書で母への甘えを断ち切り、真面目に死ぬならば天皇陛下万歳は私も解る。それは親兄弟という範囲では無く、天皇陛下=日本全部に対して万歳=生き残って欲しいと思った為でしょう。

    南溟の桜サイトの素材利用規約に沿い、艦影素材を利用する限り当サイト全ページののフッター(ページ最下部)よりリンクしております。

  • #816
    さわちよ
    さわちよ
    参加者

    ペリリューは日米双方にとって聖地といって差し支えないところですよ。
    (あんまり学校では教わらないみたいだけど)

    まとめ
    http://matome.naver.jp/odai/2140776979681509501
    ペリリューの戦い
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

    近年になって、中国が影響力を伸ばそうとイロイロと画策してます。
    (これもあんまり知られてないんだよね)

    (伊400型は結構みんな知ってるんじゃないかな?カタパルトと格納庫が特徴的だし)

    • この返信は5 年前に さわちよ さわちよ さんが編集しました。理由: ちょっと追加
  • #820
    TakaQ
    TakaQ
    参加者

    言い方はアレですが、日本軍が初めてまともなというか本格的な(周到な準備と綿密な作戦計画による)組織的な抵抗戦術をとって、米将兵の死傷者数に米議会が青ざめた戦いですね

    それまで日中戦争では有効だった浸透戦術(WW1末期になってできたそれ以前の陸戦の常識を覆した新戦法で、現代の歩兵も基本的に機銃手を他全員で守って進撃する点ではこれとまったく同じ)を目的とした白兵突撃(機銃等による火力支援の元で漸次遮蔽物に隠れながら分隊ごとに銃撃をしつつ前進接近し、別働隊で敵を包囲または挟撃する配置についた後、最終段階で短距離の銃剣突撃を実施して敵を撤退に仕向ける一種の心理攻撃、敵殺傷を目的にしていないが、中国軍はビビってすぐに撤退を始めるのでやたら有効だった)をバカの一つ覚えのように繰り返しては、米軍の敷いた突撃破砕線に突撃してフルボッコにされてました
    というか火力が無尽蔵な米軍の突撃破砕射撃に対して、浸透戦術による白兵突撃は相性が最悪です

    突撃破砕射撃いうのは、敵の浸透予想エリアを事前に区分けして射撃ゾーンを設定したら、機銃や迫撃砲の照準を各ゾーンに合わせて最大効果効率となるよう調整しておき、来襲した敵が居る若しくは居るであろうゾーンに全火力を集中的にブチ込むことで、敵兵を一人一人をいちいち狙うのではなく、射撃ゾーン毎に最大火力で制圧して面単位で潰していくもの
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E7%B5%82%E9%98%B2%E8%AD%B7%E5%B0%84%E6%92%83

    ほとんどの南方諸島の戦いにおいて、サイパンあたりまでの日本軍守備隊は、学習能力無いんですかねソレは的な有様で米軍の突撃破砕射撃に白兵突撃させては全滅というのを延々と繰り返していたものですから、米軍はペリリューもこれまでと同様ジャップ余裕だろとか思っていたところ、運の悪いことに中川大佐はそれまでの無能指揮官とは大違いだったということでしょう
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E5%B7%9E%E7%94%B7
    たらればはいけませんが、南方戦線でもっと初期の段階から中川大佐方式(出来るだけ多くの米兵の出血を強いることを最優先に考える)が行われていたなら、戦死なされた日本軍英霊の数に見合うだけの違った終戦の形になった可能性は大きいと感じます(ソ連と違って民主主義国家の米国は、ベトナムやイラクやアフガニスタンの例でも判るように、一定数以上の兵士が死ぬと世論で議会がヒヨり出して経戦が難しくなるため、よりソフトランディングの講和を狙える)

    ペリリューの戦いについてはさわちよさんが貼ってくれましたので、中川州男大佐について貼っときましょう
    http://www.kaikosha.or.jp/gunzou/gunzou02.html
    http://blog.goo.ne.jp/1079sasa/e/1e5e23dd1572ad93107cd495914a68da
    http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/37636181.html
    http://ameblo.jp/shiragamajin/entry-11868834812.html
    http://nakeru.eco.myblogs.jp/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E5%B7%9E%E7%94%B7/

  • #861
    忍忍@陸奥
    忍忍@陸奥
    参加者

    さわちよさんの1個目のリンクで紹介されている「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」を当時見てました

    細かい部分は忘れても
    「ペリリュー島で住民を避難させ、苛烈に散って行った兵隊さん達が居た」
    という事は忘れないと思います

  • #1124
    lasky
    lasky
    参加者

    戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

    今年の歌会始で陛下が詠まれた歌です。
    http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG13HA0_U6A110C1CR0000/

    陛下のお気持ちやパラオの人達の心情を想うと、日本政府がパラオ独立1周年の式典に参加せず、祝電さえ打たなかったことが悔やまれます。

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