返信先: 【最悪を想定】伊方原発運転差し止め【リスク管理】

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TakaQ
TakaQ
参加者

理解してないのではなくて、論理破綻していてはじめから議論する気がない

なぜそんなに原発が嫌なのか。核エネルギーのアレルギーではない。原発をなぜ推進するか。エネルギー安全保障、国家安全保障、国家の独立の為なんです。だから今回の事故の確率、完全に消すことはできない。千万分の1とか億万分の1とかにはできるけれども完全に消すことはできない。反原発の人たちは完全に消えてないのに何でやるんだって言うんですが、国防は国民のリスクがゼロじゃなくてもコストをかけてでもやらなきゃいけない事なんです。例えば軍隊がそうですよね。国を守るためには国民が命をかけなきゃいけない局面っていうのがある。必ず国防、国家の独立のためには国民自身が犠牲になるコスト、リスクっていうのは残っちゃう。これが国家安全保障っていうもんなんです。

リスクが残っているのに原発をやる理由は国家安全保障、国家の独立との引き換えとして必要だということです。原発の目的は『国家』安全保障なんですが、左翼的な人、戦後日本人はその『国家』が嫌なんです。国家の独立を自分たちの手で守ることが理解できない。

もうひとつは、これも国家がらみなんですが。原発を安全に運用するには、今回の事故の対応もそうですし、普段からの規制の問題もそうですが、国家が全面に出て国家政策としてやる。原発運用には国家が不可欠なんです。だから原発の目的も国家の為だし、原発を運用するにも国家の介入、国家権力が必要。

要は原子力発電は、『国家国家国家』と、左翼的な人、戦後日本的な人たちが見たくない、反国家的な人たちが嫌なものがたくさんまとわりついてるんですね。従って原発について技術的な理由とか彼らは言っている。それについて技術的に原発を支持する人たちは工学的、技術的に反論するけど、向こうは核エネルギーが怖いとか放射能が怖いとかいうことじゃなくて、『国家』が嫌なんです。だから技術的な議論は通用しません。

典型的な例を挙げるとすれば、「安全に管理すれば大丈夫だ」って言っても彼らの言い草っていうのは「そんなものは『国家』は嘘をつくから」とか、「核エネルギーを平和利用する」と言っても、「プルトニウムを平和利用すると言っても『国家』が悪用するかもしれない」とかこういう言い方をするわけですね。

これ要は、『国家』は悪だと言っている人たちにとっては、『国家』が何をやろうが何を言おうが信用できないっていう事なんです。従って彼らの標的は核エネルギーじゃない。核エネルギーとか放射性放射能だったら、医療で使う放射線だって敵意を示さなければいけないはずなんです。にも関わらず原子力発電だけに敵意を示している。彼らは『反原発』じゃなくて『反国家』なんです。その事を考える必要があります。

で、これは左翼に限ったことではない。日本全体の問題だっていう気がしてきます。例えば戦争の反省とかいろいろ言われてますが、今回の原発もそうですが、戦争なり原発なり悲劇がおきる。この悲劇を教訓にして反省するっていうことがあるわけですね。ところがたとえば戦争。戦争で敗戦したと。原爆を2個も落とされたとかですね、この悲劇に対する反省の方法っておおざっぱに言ってほんとは2つあるんです。

ひとつは『二度と戦争に負けないような強い軍隊を持ちましょう』っていう解決策ですね。ところがもうひとつは、解決策になってないんですけど、『武力自体を放棄してしまえ』と。国防自体をやめてしまえばいいんだっていう議論。この後者に強かれ弱かれ、多かれ少なかれ傾いてきた。だけど今となっては武力を放棄する事が非現実的であり欺瞞であるっていうことは明らかなんですね。

ところが原発の問題も同じなんですよ。原発もですね。今回の事故みたいなことがあったら解決策は2つ。ひとつは『今回のようなことを起こさないような強力な原発を作りましょう。安全な原発を作りましょう。それが技術的に可能か否かという議論をしましょう。だめだったら諦めましょう。できるんだったらやりましょう』っていう議論が今回の事故への反省として起きるべきなのに、実際に起きた議論は『原発そのものをやめろ』これは武力放棄と同じ理論なんです。

従って脱原発、反原発、減原発の人たちは、武力放棄の『平和主義のお花畑』と同じくらいいろんなとこで論理が破綻してる。それがすごく、似ている。だけどこれは左翼がどうのっていう話じゃないんです。現に今回の原発で脱原発のほうに世論が流れました。これは日本人そのものの問題なんです。

いくつか証拠がある。今回の原発問題で『安全神話を言っていたのに政府に騙された』『東電に騙された』『安全神話が崩れた』って言われてるんです。ほんとに安全神話があるなら、何で人の少ないところに原発があるんだとか、何で福島県は避難訓練やってたんだ。そんなことはそっちのけで「安全神話に騙された」

これは戦争を反省する時の論理と同じなんです。『われわれ善良な国民、善良な市民は知らなかった』『当時の軍部や国家の指導者、東條英機といった人たち、おろかで悪い国家の指導者が善良な市民を騙して戦争に突入させてあんな悲劇をやった』『国民には責任がない、俺たちは騙されてた』『国家が悪い軍部が悪い』っていう議論が戦後ずっとやってたわけですね。『官僚が悪い』とかですね。それと同じなんですよ。

安全神話で、原発が安全で大丈夫だって騙されてたんだと。だから責任追及だと。こういう議論です。第二次世界大戦、もちろん軍部が悪いとか、指導者がアホだと私も思いますが、アメリカに突き付けられたハルノートが典型的なように、国際法上合法的な領土も放棄せよっていうふうに責められたら、当時の常識として戦争しか無いわけです。そういう風にアメリカが追い込んできたわけです。別にアメリカがどうのって言うつもりもないんですけど、軍部がどうのとか当時の官僚がどうのっていう矮小な話じゃ無いわけですね。